今日もありがたきアマゾン様の恩恵に預かり、映画を一本観た。
タイトルからして小津安二郎監督のものと思わせておいて、
今日観たのは黒澤明監督の、「生きる」。
この映画、実はアメリカ滞在中に初めて観たので今回が2回目。
大学の図書館で無料で借りたのだけど、タイトルが「Ikiru」だったのが印象的だった。
二十歳そこそこの私が観てすぐにピンと来る内容ではなかったものの、数日後に急に
(ぁあ!!!)と知覚するような、私にとってはそういう映画だった。
ちょっと前に、これも2回目の「羅生門」を観た。
こちらは1回目以上に衝撃的だった。
キャストはたったの6人(プラス最後にちょっとだけ赤ん坊1人)。最低限の人物と場面設定で、舞台の要素あり、落語の要素あり、それこそ「素材(俳優)」を皮から身まで全て使って、人間の深く悲しい実像を描き出している。これは絶対原作を読まなければと思わされた。
大いなるアマゾン様のおかげで、ようやく小津安二郎監督のものもいくつか観ることができたのだけど(私が観たのは「東京物語」と「秋刀魚の味」と・・・あと何か)、観ていて気がついたことがある。
それは、
「小津安二郎の映画は、インスタ映えがすごい。」
こう言ってしまうと俗っぽくなってしまうけど、敢えて言ってみている。
私、自分でもインスタグラムを始めたばかりだけど、
小津安二郎監督の作品を観ていたのはそれ以前。
要は、構図が非常に、異常に美しいので、言ってしまうと、どの場面で一時停止を押しても画として成り立つような美しさなのである。それはおそらくとっても計算されているし、明らかに構図のために小道具や大道具も設置されていたりして、言ったら、役者の動きまでその基準で動かされいているんじゃないかと思うくらい。でもそれが個人的には全く嫌な感じではなくて、純粋に監督自身が無視できない美学の表れなんだろうなって思う。中身がちゃんとしているから、きっと許されることでもある・・・。
小津監督のフレーミングには数段階の工夫があって、カメラが作り出す枠(フレーム)の中に、障子や襖がフレーミングしている別の枠組みがあり、それが廊下や畳の線で繋がって(そしてそれらがうまいことピンぼけていたりして)、まんまと視線を誘導されているのである。
一度父が、黒澤明監督の映画を観ながら「黒澤のは画がきれいすぎて時々疲れる」と呟いていたことがある。私もそう感じるのかなと思ったけど、黒澤明監督と比べても、小津安二郎監督の構図の凝り方は上かなと個人的には思う(そしてなぜか疲れない)。
そういうわけで、小津監督がもし現代に生きていたら、そして仮にインスタグラムをやっていたら、ものすごいインスタグラマーになっていただろうなというどうでもいい想像をする一方で、
世の中のインスタ映えに熱心な若者たちには、新しいものだけじゃなくて、小津安二郎監督の映画を観て勉強しなさいと、誰を捕まえるでもなく、自分がインスタ初心者であることも忘れて、言いたくなったりする・・・。
そうそう、それで、インスタグラムのアカウントを早々にお引越ししました!
最初のものが色々と支障をきたしていたので。
今後はこちらの方から遊びにきて頂けたら嬉しいです!
↓
https://www.instagram.com/tanazawahanae.design/