おかげさまで、昨日で36歳になりました。
そろそろ憂鬱な数字ですね〜・・・36。
35というのはなかなか好きな数字だったのですが。
「静かにしてたらスルーできないかな」と友人にメールしたら、
「何も静かにしてなくても・・・」と突っ込まれました。
・・・36も好きになれるように頑張ります・・・(奮い起し気味で)!
正直、35くらいまでには結婚やら出産やら、世間一般的な何かしらの変化があるものと思っていました。でもどうやらそれは私の人生ではないんだと、この誕生日にはそれを受け入れる作業から入りました。
悲しいようですが、これもまた人生。
無い物ねだりはやめて、「今」を感謝して生きようと思うと、
いつも落ち着く結論は、ただ絵を描くこと。
絵を描く20歳前までは、私は「過去」か「未来」にしか生きていませんでした。
「過去」の、キラキラと楽しかった時間がなんとも懐かしく、美しく思えて浸ってしまったり、
「未来」の、きっともっとなんでも可能で、もっと輝いているだろう時間に生き急いでしまったり。
その間の「現在」はいつも現実的で味気なく、いつでも一番、不満を感じる時間でした。
うーん例えるならば、素潜りで水の中に入る感じ・・・。
一生懸命息を保たせようとするんだけど、でもあの空気のいっぱいあった過去に戻りたい、それが無理なら、空気がいっぱい吸える未来に向かいたい!その間に漂う「現在」の酸欠状態の、なんて暗くて怖くて、苦痛なこと・・・!
でもそんな私にとって、絵を描くようになって初めて、「現在」が生きた時間になりました。
きっと、酸素ボンベを手にしたような自由。酸素ボンベを担いで海に潜ったら、海底にはサンゴ礁や貝殻が輝いて、不思議で綺麗な魚がたくさん泳ぎ、そこはまるで想像もしていなかった豊かな世界・・・。
そんな風にして、海中を泳ぎたいだけ泳ぎまわり、そこで写し出した記念写真は、絵という一枚の作品になる。「過去」に存在しなかったもの(作品)が「未来」に存在するようになる。「あー楽しかった!」っていうイベントの記念に、新しい写真(作品)が一枚残る。こんなに「現在」を生きた証を視覚的に残せるって、ラッキーなことだなって常々思う。
人によっては、子どもなんだろうな。私にとっては、作品が子ども。
この年になると、未来はちょっと怖い。過去には後悔も増える。
だからもっと、現在を生きよう。
絵を描くだけじゃなくて、
美味しく食事しよう。
人と笑おう。
心から好きなことをしよう。
それで毎日を重ねられたら、きっと明日死んでも、悔いはなし。
人並みの人生ではないかもしれないけど(お願いだから比較しないで!)、
私らしく生きようと決意した、36年と1日目でした。
新しい夢の話は、長くなったのでまた今度・・・!