前回言っていた少し長い文章・・・。
唐突かつもはや季節錯誤な内容ですが。
・・・
この数ヶ月はやることも変化も多い日々を過ごし、先日ようやく夏に撮りためた写真をアップロードすることができてそのことを改めて実感。
以前何度か書いていた犬のサンディは、10月某日、命を引き取りました。
昔からわかっていたことだけど、サンディは最期まで本当に頭が良くて、会いに来ていた姉が帰る日の朝、微かな息のサンディは姉の「ありがとう」「もう楽になっていいよ」の声に、絞り出すように3度吠えて答え、体を痙攣させ、まもなく姉の腕の中で息を引き取りました。こんなことってあるんだと、私たちは最後の最後まで、この素晴らしい犬に感動させられてたくさん泣きました。
・・・考えてみれば、私は家族や友人の健康にはとても恵まれていて、近親者の死を目の当たりにしたことが未だなく、犬ではあるけれど目の前で親しい「命」が死ぬのを見たのはこれが初めてでした。
サンディは徘徊がひどくなっていたのだけど、姉が帰って来た日から安心したのか、歩き回るのをやめ、その代わり寝たきりになって骨ばった体にオムツ姿で過ごす数日が続きました。そして毎日、毎時間何かを諦めながら、確実に死に近づいていきました。美味しそうに食べていた鶏そぼろを次の日には食べなくなり、夜、急須でポカリスエットを薄めた水を飲ませながら、これが最後かなと思ったのが翌朝現実となりました。最後は顎を閉める力すらも呼吸のエネルギーに譲渡して、横向きに寝た顔の下はよだれでびちょびちょになり、口とお腹のみがかすかに膨らんだりしぼんだりするチューブになって、ついにはそのチューブの動きも、静かにゆっくりと、停止していきました・・・。
残された柴犬のさんちゃんはどれだけわかっているかわからないけど、やっぱり寂しそうな表情もしている気がします。
***
近しい人には話していたのですが、9月くらいから相模原市の藤野というところに移住しました。
長〜くなるので、詳しい経緯は割愛しますが(苦笑)、藤野はアーティストタウンとして知られているらしく、たまたま興味を持った私と、同じタイミングで東京寄りに拠点を求めていた両親との利害が一致し、また昨年亡くなった祖母のマンションを手放すのに伴いこちらで古〜い一軒家を買うことで話が進んでいきました。私は母屋とは別にある離れ(とは言っても倉庫といったほうがいいような古い小屋)を父と汗水垂らして夏中DIYしてアトリエ兼住居に改築し、ようやく最近になって生活らしい生活ができるようになりました。両親は山中湖と半々、私はここでよりアーティストらしい生活ができているような気になっています。
離れの一階部分をリビング兼犬と過ごす場所に考えていたのが最近ようやく形になったのだけど、ここでくつろぐサンディの姿は結局見ることができませんでした。
ひとりになったさんちゃんは日中外で日向ぼっこが大好きで、夕暮れになり寒くなってきたら入ってきてやっぱり丸まって過ごしています。
私もここでは結構健康的な生活ができていて、朝には(さんちゃんのトイレのために)8時くらいには起きて散歩に行き、ちょっとだけ始めたバイトに出かけ(面白くていい人ばかり!)、帰宅後から夜中の12時くらいまでは(夕食以外)自分の仕事、そしてお風呂を温めている間に3度目のさんちゃんの散歩に行くのだけど、この真夜中(12時過ぎてることも)の散歩が結構気に入っていて、夜空が広くて月や星の光が明るくて、白くなった息が気持ちよくて、さんちゃんがルックスだけは頼もしくて、近隣の暮らしが静かで安全で・・・そんな穏やかさを味わいながら一日を終えてます。横浜にいた時とは違って寝つきも目覚めもびっくりするほど良い自分がいます。
また色々報告できればと思います。
ワクワクすることも色々!
今は毎日本当に時間が惜しくて、こまめな更新ができずにすみません。
でも元気にやっています。
皆さんも素敵な秋と冬の始まりをお過ごしください・・・!