忙しかった2月、3月が終わって、4月は猫のドタバタで終わって、もう5月。
だいぶ落ち着いて、というか、もう半分ニートです。苦笑
友達も少し心配し始めてる?
かくいう私はまだ少し余裕な心持ちでいますが、本来はもっと焦った方がいいんだと思います。
一応、やることはあるけどまだ時間あるし・・・みたいな、そんなところで、ふと気が付いたのは、新たな目標が必要だなということ。
昨年から引越し前半までの流れは、それ自体が目標にもモチベーションにもなっていてとても楽しかったけど、そんな新鮮な日々も過ぎ、これは少しマンネリというのか。
一応今の分かりやすい目標はもちろん、フリーランス一年目をなんとか生き残ることだけど、それだけのことではない。そもそも、自分ってこの先どんな仕事がしたいんだろうって考えたら少しだけわからなくなってしまった。絵を描いて喜んでもらえたり、ポスターなど人に見てもらえるのは嬉しいし楽しいので、それはもちろんできる限り続けるとして。もうちょっとだけ遠くの目標ってこれからなんだろうな。
こんなことにぐるぐると思考を回すようになると、必ず浮かんでくるのが今は亡き私の両祖父母の存在。
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まず、母方の祖母。
といっても、母が小6の時に祖父と再婚したので、血は繋がっていない。2017年の秋に96歳で亡くなった。
当時としてはかなり珍しかったと思うキャリアウーマンで、おじいちゃんとの結婚は42歳にして初婚。大阪出身で、沖縄に嫁ぐまでは子供服のデザイナーとして活躍していた。確かブティックを経営していたんじゃなかったかな?
最近になって、おばあちゃんが何十回ものお見合いでも結婚できなかったのは、障害を持った妹がいたからだと聞いた。当時は、それだけで遺伝的な偏見を持たれたのだという。
とにかく、今でも独身女性の世間的なプレッシャーは私自身感じないでもないものの、当時の世間の人当たりは相当辛辣だったのではと想像する。おじいちゃんは70代で亡くなったので、未亡人としての余生も長く、独立心はしっかりありつつも最後の数年は寂しそうな時もあった。でも長いことマニュキアやメイクを怠らないお洒落なおばあちゃんだった。
こちらは私の父方の祖父母。
とは言っても、父は3兄弟の末っ子で2歳にして戦争孤児になったので、この祖父母に養子として引き取られ育てられた(おばあちゃんはついでに言うと二人目の妻)。だからこちらも私と直接血は繋がっていない。
この祖父母もやはり、衣料品を作って販売するお仕事をしていた。当時はそういうお店がいっぱいあったのだと思う。
良かった時は、蒲田の商店街に小さくも自分たちだけの衣料品店(確か「ふたば」とかいう名前)を持ち、何人か従業員もいたという。途中お店が傾いた時もあったみたいだけど、多分定年くらいまで頑張ってから店を畳んだのだろう。
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今という時代は、そもそもこの国が抱えている問題や世界的な環境問題などに加えて、コロナ渦が起こり、本当に様々なことが大きく動いている。
テレビはもうYouTubeや新しいメディアに抜かれるだけだろうし、職業もまだ見聞きもしないものがこれからどんどん生まれるのだろうな。それも今まで以上のスピードで。
・・・少し話が変わるけど、思い出したから徒然なるままに・・・。
テレビの衰退は少し、サイレント映画がトーキーに取って代わられる時の空気感に似ているのかなと思う。私はチャップリンが大好きなので書籍とかもよく読んだのだけど、トーキーが流行り始めた時、サイレント映画でスターだったチャップリンはとても迷ったという。チャップリンの代名詞とも言えるあの浮浪者(Tramp)は、(視聴者のイメージを保つため)絶対に言葉を発してはいけないと思ったチャップリンは、悩んだ挙句『黄金狂時代』でTrampにデタラメな歌を歌わせて初めてその声を世間に披露した。それは意外にも受け入れられて、その後『独裁者』などのトーキーでもスターで居続けることに成功した。この時代のサイレント映画のスターの中には、当然忘れられていった人もいっぱいいたことだろう。
今のテレビ業界で、タレントがこぞってYouTuberデビューしている動きは、上のことを考えれば理解ができる。テレビは高齢者世代にはまだしばらく残るメディアだろうけど、若い演者達はそのことに耐え続けるだろうか。私は引っ越してからはテレビなし生活なので、そうなると、テレビで活躍していた人たちはもう私の生活には存在しない。明石家さんまさんなどは、どっちの道を選ぶだろうか。少しだけ、チャップリンと重なる。
話はちゃんと戻ります。笑
私は自分が今作っている創作物は、おじいちゃんやおばあちゃんが作ってきた洋服の数々のような気がする。その時代の人の暮らしやちょっとした豊かさに役立ち、喜んでもらえる。でも、そんな祖父母達の豊かな手仕事も、時代の流れでいつしか必要とされなくなってしまった。ファストファッションが流行り、それらで十分事を足らせる現代人がいる。私のデザイナーとしてのささやかな能力も、もしかしたらあっという間に未来の画期的な何かに脅かされるかもしれない。
私はそういえば10代の頃から古着が大好きで、今でも着ている服の3、4割は古着屋さんで購入したもの。古着独特の時代を経た味わいが大好きで、時々新品の服を見て、これが古着になったら買うの考えるかも、なんて思うことすらある。
同じものが二つ並ばない古着屋さんを漁る時のワクワク感は、たまらない。そこでは本当に想像を超えた豊かな柄やデザインに出会い、良くも悪しくもやってしまったなと思う個性的なアイディアに遭遇して苦笑することもある。これありかな、無しかな?とか、当時はどう着たのかな?今だったらこう着ればありかな?とか、古着屋さんは私と過去を楽しく繋いでくれるタイムマシーン。「これさすがに当時でもダサかったんじゃない?」とか思う洋服とかは、その自由さとかチャレンジ精神みたいなものが、「そうだよね、デザインて自由でいいんだよね!」ってセンスよりも心持ちの部分でインスピレーションになっていたりする。
そんな豊かな古着屋さんの中に、私は密かに、祖父母の仕事が紛れているのではないかと勝手に想像して、嬉しい気分になる。
なんだかんだ言って、結局のところ、私はそんな祖父母のしてきたような仕事がしたい気がする。
たまたま思い出して見つけた、
希以おばあちゃんが着ていたワンピースを
おばあちゃん直々リメイクしてもらって着た、
26歳くらいの私。
長袖を(見えないけど)ノースリーブにしてもらいました。