未知の先

いつかのブログで話題にした彼岸花の絵はこうなりました。

 

何十枚も描いてようやくなんとかできたものだけど、振り返ると、心の底ではもうちょっと粘ってみれたのじゃないかと、ちょっと悔しい気持ちにもなる一枚です。でも、十分粘れなかった自分も含めて、これが今の私の実力なのかな・・・。

 

作品の詳しい意味合いはインスタグラムにも書いたので、よかったらそちらもチェックしてくださいね。

 

・・・

 

憧れというものに対して、

 

自分には到底叶わないと思いながらも、少しでも近づきたいという純粋な気持ちに従ってできる限りの努力してみるべきなのか、それともどこかできっぱりと見切りをつけて、別のもっと可能性の高いことに注力するべきなのか。最近そんなことをよく考えます。

 

日本画とか。

 

私が憧れるような日本画は一生かかっても描けないかもしれないけど、その想定でさっぱりと諦めてただの鑑賞者で満足するべきなのか(元々そのつもりだったけど)。それとも憧れに少しでも近づこうと努力したら、もしかしたら、万が一にも奇跡のような一枚が待っていたりするのでしょうか。

 

悩んでいるふりして、なんだかんだ言って後者のタイプで、それが良かったり、悪かったり、色々なんだけど・・・(確実に苦労は多い)。諦めたら結論は見えているけど、もしも諦めなかったら、その先にはどんな景色が待っているだろう。そんな未知の可能性に対しての好奇心が強くて、一度何かに憧れてしまうとなかなか止めることができない。昔、「ハナエは好奇心がありすぎる」ってまるで悪口のように言われたことがあったけど(笑)、好奇心って、ネガティブワードになり得る?いまだによく解りません。

  

できないと思っていたことができたり、わからないと思ってたことがわかった時の喜びって、それが想定できている時より、そうでない時の方が大きい。未知への好奇心が、いつも私を引っ張る。

 

人や動物に対しても、私はもしかしたら普通の人以上に好奇心を持って接してしまう。見ただけではわからない相手の奥深さ、ダメなところや合わないところも含めて、その人らしさ。こちらが諦めなければきっともっと見つけられるのに。扉を閉めたら、それで終わり。

 

隣人の猫は、私が2、3日に一回カツオブシをあげ続けて、背中を撫でさせてくれるようになるまで、丸半年かかった。警戒心がとっても強くて可愛げがなくて、猫好きじゃなければ3回くらいで諦めていたと思うけど。今はひっくり返ったお腹をいくら撫でても許してくれる。持ち上げておでこくっつけたって、何したって平気。性格もあるし、トラウマもあったかも知れない。3回で諦めていたら、私にとって彼女はただの性格の悪い猫だった。でもそんな誤解の世界は、今よりちょっとだけ寂しい。

 

何かと仲良くなるって、やっぱりそんなに容易じゃない。でも好奇心に従って、敬意さえ忘れなければ、きっと世界は広くなる。だからたとえ叶わない憧れで終わったって、ちょっとは諦めずに時間をかけるべきなんだ。

 

・・・と、そんな鼓舞も必要な今日この頃でした。

 

 

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