ここ最近の朝は少しだけ寒さを我慢してベッドから抜け出し、エアコンをオンにするところから一日が始まる。猫は私よりも先にベッドから這い出し、お気に入りの窓辺で私がカーテンを開けるのを待っている。
毎朝そうする度に、私はガーナで知り合った男の子の実家の風景を思い出す。少しだけ年下のその彼の本名をもうすっかり忘れてしまったが、日本名が欲しいと言ったので「タロウ」と名付けてあげたその彼の家に珍しい日本の友人として招かれ、一泊させてもらった時の光景。
すでに見慣れていたガーナの一般的な中庭を囲う平家のお宅で、マスタールームの様な広めのお部屋を一人の客人として充てがわれた。部屋を埋めるように真ん中に古びたダブルベッドがあり、普段はそこで家族の数人が雑魚寝して寝ていると思われる、みんなの部屋。タロウの下に、もう何人か男の子や女の子がいたような・・・。ガーナは当時(今も?)マラリアが普通にあったので、ベッドに蚊帳を吊るして寝るのが一般的だったのだけど、蚊帳の欠点は、少しだけ風通しが悪くなり空気がムッとすること。それでも、マラリアは蚊を媒体として死をも招く病気なので、多少の暑苦しさは我慢する他ない。私たち外国人は予防薬を飲んだりしていたけど、ガーナ人でそこまでする人は少なく、死んだらそれまでという覚悟は普段から割と近くにあったかもしれない(病院での処置が間に合えば救われる病気でもある)。とにかく、そんなおんぼろバージョンのプリンセスベッドに寝かせてもらえることになった(とはいえシーツは清潔で、でもそのシーツ含め洗濯は全て手洗いかつ手絞り←これが大変)その夜暗闇で見上げた天井には、これまたガーナではどこでも標準設備のシーリングファンがクルクルと乱暴気味に回っていた。私はあれがいつか回転しながら落ちてきて誰かの首をchop offするのか、年間何件くらいそんな事件が起こるのだろうとかよく思ったりしていた。とにかく、そんな風におもてなししてもらった夜、タロウやみんなはどうするのだろうと思ったら、四角く囲まれた中庭に出て寝っ転がり、夜空の下、蚊帳もないまま眠ってしまった。
そのおもてなしがどれくらいの犠牲的行為なのかもわからないくらい彼らは翌朝ケロッとしていた気がするし、もしかしたら何か見返りを期待してのことだったのかもしれない(応えられた気はしないけど)。でも、その夜見上げた蚊帳越しのシーリングファンと、家族が外で寝支度する様子は、私の中で一つのスタンダードとなった。今朝も自分の白い天井を見上げながら思い出したのは、そんな光景だった。
私は、そんな変わった基準を持っていることがどれだけ今自分の財産になっているんだろうと、最近ますます実感を増すばかりである。彼らを悲観するわけではないが、自分がいつどこで目覚めても、どれだけ恵まれているんだろうと、いわゆる想像ではなく実感として理解できるし、エアコン一つで部屋が暖かくも涼しくもなることや、お湯で顔が洗えること。自分が支払っているものの対価であるとは言え、きっとわからないレベルで相変わらず誰かを犠牲にしているし、また誰かの働きで成り立っていることが想像できる。
私は日本やアメリカしか知らなかったら、もっと近い人ばかりと自分を比較し、自分の足りない点ばかりに目がいってとても辛い人生だっただろうなと思う。標準となるものが、同年代で活躍する人ばかりになっていたら。いつまでも劣等感しか持てなかった気がするし、たとえもっと裕福になっていたとしても、なかなか満ち足りることを知らなかったかもしれない。
私の基準はいつもガーナのあの光景にあって、エアコンなど未だに選択肢にない暮らしや、お湯一つ沸かすのにも薪をくべるところから始める暮らしがまだまだ世の中の大半にあることを、いつでも思い出すことができる。例えば今自分が占有するこの空間だけで、何人の人が安心して雑魚寝できるだろうと。そんな世界を知らないことはある意味では楽だと思うけど、もし知らなかったら、私は上に書いたような競争心理に嵌り込み、そこから抜け出せないことの方がよほど過酷な世界だったような気がする。
私は日本の一般的な基準で言えば物理的には持たない方だと思うけど(家も車も家族もない、持って逃げるは猫一匹!)、自分よりも大変な暮らしをする人が大勢いて、その方達が優しさや人間性をもって、何も持たずに他人をインスパイアすることができることを知っているし、それを知ってること自体が、自分自身の特別な財産だと思う。朝一番天井を見上げた瞬間からそれを思い出し、たまに数百円のお花を買って飾ることが贅沢と思える自分は、誇らしい部分でもある。