お金シリーズ第3弾です。
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さて、世の慣習に従い、どうしてもお金持ちになりたいと思っているハナエから一つ、素朴な質問が届きました。
どうして皆さん、ハナエにお金をくれないのですか?
くれないというのは、お仕事として発注しないという意味ではなくて(お仕事いつでもお待ちしてます!)、物として、そのままくれないのかということです。だって別に、くれてもいいと思うのです。もし今使えないほどにたくさん持っているのなら。
ハナエは至極真面目に、理論立てて思ったのです。
「だってみんな、りんごやお魚だったらくれるから。もらったら感謝されることもあるくらいだから。お金だって、余分にあるなら全然ありがたくもらうんだけどなぁ・・・!」
この理屈にご納得いただけた方、ハナエはいつでももらう用意できてますよ!
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りんごやお魚と、お金の扱いが違う理由、そろそろわかっていただけているかと思いますが、前者は減価するけど、後者はしないということ。お金は持っていても損することはなく、利子によって増やすこともできます。お金のことを考える上で肝になる部分なので、何度でも言います。
りんごやお魚は傷んだり腐ったりして、余分に持っていることの方が損になります。ちょっと長持ちさせるために加工できたとしても、加工そのものにもコストや時間がかかります。置いておく場所や管理も必要になります。捨てるにも手間や臭いの問題があります。減価する過剰な持ち物の場合、実はその人は不利な立場におかれてしまうのです。そんな損をするくらいなら、タダでももらってくれる人にあげるのが一番手っ取り早く、最善な方法なのです。当たり前のことなのだけど、お金が介在しない世界では、資産は必ずしも資産のままではいられず、それぞれの減価率でマイナスの資産へと変化していきます。
寄付とかは別として、人がりんごのお裾分け感覚でお金を他人にあげないもう一つの理由は、やはり利子にあると思います。確かに今暮らす分には十分なんだけど、先々の支払いには常に膨らみ続ける利子分がかかるので、持っていても減価しないお金は今使い切らないでおこうという心理が働きます。そして少しでも他人より有利な立場でいるためには、お金は持っている方が、様々な取引で得できるのです。これは先程の自然の資産のあり方とは真逆です。
お金の違和感、十分に染み込んできましたか?
参考:
河邑厚徳+グループ現代著『エンデの遺言〜根元からお金を問うこと〜』NHK出版第15版, 2000年, pp. 116-119