カルダー展

 

 

5月30日から9月6日まで麻布台ヒルズギャラリーで開催中の

 

「カルダー:そよぐ、感じる、日本」展

 

に行ってきました!

 

カルダーは学生の頃からとても好きで、日本でまとめて観られるまたとない機会と楽しみにしていました。

 

梅雨も真夏も始まる直前、都内でまだ涼しさも感じられるこの週末に行けてとても良かったと、シトシト雨の音を聞きながら振り返っています。

 

 

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先に、思い出話を一つ。

 

 

大学最後の夏休み、当時仲の良かった日本人でインテリアデザインを勉強していた友人と、Amtrackというアメリカ横断鉄道+Grayhoundバス(通称グレハン、どちらも低所得者の移動手段)にユースホステルを使いこなし、アメリカ国内で2週間アートを巡る旅をしました。

 

 

ルートは、まず学校のあったリノ(ネバダ州)→シカゴ(イリノイ州)まで丸2日。Amtrackの車窓からは、乾いた緑の低木が所々に生えただけの土けた景色が、まるで永遠のように続いていました。シカゴで乗り換え、さらに1日かけてニューオーリンズまで南下、ようやく最初の下車。2泊してジャズの名所や街並みを堪能しました。その後はWashinton D.C.まで移動してここでも数日間滞在。ワシントンD.C.はスミソニアン系のかなり立派な美術館や博物館が無料で入れるので貧乏学生にはありがたく、とても有意義な時間を過ごしました(でも敷地が広くてクタクタになる!)。もちろん、ホワイトハウスや国会議事堂、リンカーンの像なども見学。

 

その後、一度NYをスルーしてボストン(マサチューセッツ州)へ。ボストン美術館や知人のいたMITやハーバード大学をミーハー見学。MITはフランク・O・ゲーリーという有名な建築家の建物や、その他西海岸では見られないアメリカ初期の歴史ある煉瓦造りの建造物が印象的でした。

 

最後に、一番山場にしていたN.Y.Cで5日間の滞在!毎日行ける限りの美術館巡り。メトロポリタン美術館、MoMA(当時ブルックリンで仮営業してた)、グッゲンハイム美術館など。おかげでいろんな観光地はスルーしちゃったけど、セントラルパークだけは行っておけば良かったなって後から思いました。タイムズスクエアではショー観るお金なんてないから写真撮っただけ。私は旅行中ほとんど買い物せずに節約してたんだけど、NYのソーホーでお姉さんが路上販売していた手作りのピアスだけはどうしても欲しくなって、勇気を奮って購入。そのお値段、16ドル。笑 だけど値段覚えてくるらいだからよほど気合を入れて(つまりお金がないとこを頑張って)買ったんだな〜。と、そちらは今も現役、永遠に大切にしたいと思っています。

 

その後はまたAmtrackでシカゴ乗り換え、無事にリノに帰宅しました。

 

 

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カルダーの作品は、いつも当時の思い出とリンクして、ただ普通に好きという感覚ではないのです。特にワシントンD.C.やNYでまとめて観た気がするけど、当時の印象から色褪せず、ただただ楽しく、普遍的にゆらめいて、今回改めて好きだったことを再確認しました。

 

***鑑賞中の皆さんの佇まいも素敵だったので、そっと撮らせていただきました***

 

  

カルダーは「モビール(Mobile)」を最初に作った人として有名だけど(命名したのはマルセル・ドゥシャンというこれまたユニークなアーティスト)、何が発明だったかと言えば、彫刻を「地面」という3次元から解き放ち、動きを与え、「時間」の加わった4次元に移行させたこと。

 

動く彫刻・モビール(Mobile)に対し、動かないものはスタビル(Stabile)と呼ばれ、それらもまた何か動物的な曲線で形作られ、地面に置かれているというよりも、そこに「いる」。見せつけがましさのない自由で直感的なペインティングも、モビールも、スタビルも、お互いに何らかのエコーを飛ばしあって共生する原始的な森のようで、都会の超最新美術館だというのに私はとても居心地が良かったです。

 

* 

 

ちょっとまた話が逸れるようだけど、植物好きの私は、花や木々の柔らかく有機的な存在にいつも癒されてしまうのだけど、人と話していると皆が皆そうでもないことに気が付く。個人的な好みは押し付けられるものではないから仕方がないのだけど、共感がないと寂しいのも確か。でも、よく考えたら、私は金属などの無機質なものにはあまりときめかないから、車やバイクや電車や鉄橋に興奮する人たちの気持ちが正直よくわからない。だからそういうことってお互い様だから、それでもいいじゃんって思ってたんだけど。

 

ただ、カルダーは、この相入れない対照的な二人の間に何の気なしに割り入って、金属という重たくて無機質なものにゆらめきや不規則な影を与えて、あぁ、これはなんか好きかも、みたいな好みの範囲を双方に広げてくれたような、そんな役割を果たしてくれたような気がするのです。それも遊びの延長のような気楽さとおおらかさで。

 

そう、カルダーは、幼少期のおもちゃ作りという遊びの延長で晩年まで生きた幸福な人。第一次も第二次も世界大戦を潜り抜けてきたというのに、同時代の多くのアーティストとは異なり、この人の年表にはその影響をほとんど感じさせない。戦禍だろうがなんだろうが、創作と遊びの神様に護られ、愛され、人にも時代にも、今現在も、きっと未来にだって愛されている。

 

 

 ・・・いいな。笑

 

 

* 

 

 

この日は日曜の午後だというのに混んでおらず、それもまた海外の美術館に訪れたかのような懐かしく幸せな追体験になったのでした。

 

 

惹かれた方は、ぜひ。

 

 

 

 

 

↓学生時代に見てとてもカルダーに惹かれた映像をYouTubeで発見!

これ見てなかったらカルダーの良さ分かりきらなかったかも。会場でも一部流れています。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

おまけ:

思い出のピアス。

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