広島旅行から帰ってきてもう1ヶ月近くなるが、旅の直前、私も関わらせていただいた京急富岡の新書店「瀾書店(なみしょてん)」にて旅のお供を一冊選書した。
選んだのは、(どういうわけかこの方をこの時まで全く存じ上げなかったのだけど!)昭和の大女優・高峰秀子の『ベスト・エッセイ』。これが予想を超えてとてもとても、面白かった。8月下旬になりその感想を瀾書店店主・島田さんに伝えたら、私物のエッセイ集(高峰秀子『わたしの渡世日記(上・下)』)を貸してくれて、これがまたあまりにも面白くて読んでいたら9月になっていた。
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何度か前の軽井沢滞在中、たまたま堀辰雄の『大和路・信濃路』という本を買い開いたら、文章にその土地の匂いや湿度がまとわりついてより立体的な読書体験となった。それ以来、旅先に本を持って行くときや現地で調達するときはその土地と本との食い合わせ(マリアージュ)のようなものを意識するようになった。
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私は昨年の軽井沢旅行からついに新幹線好きになってしまったのだが、新横浜から広島まではおよそ3時間半。
車窓から風景を眺めるのも好き、食事するのも好き、うとうと寝てしまうのも好き、本を読むのも好き・・・だもんだから、3時間半では到底足りないだろうと思うくらい新幹線での時間を楽しみにしていた。
ある程度乗り心地を楽しんだ後開いたこの本の最初のタイトルはなんと「旅のはじまり」。「四人目の子供」であった高峰さんの人生の始まりを物語る冒頭部分は、私自身も四人目の子供であったこともあって、すぐさま選書が成功したことを実感した。
ただし、その後の人生は似ても似つかぬほどで、私はつくづく一般凡人で良かったと思わされたのではあるが・・・。
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次に新幹線に乗ったのは2日後、広島から京都へ1時間ちょっと。
駅弁を食べ終え、開いたページからは、高峰秀子バージョンの戦争体験が記述されており、たった今まで見てきた様々な戦争に関する資料や情景をすぐさま脳内に引っ張り出すことができた。服装に関して描写されれば、あぁあれのこと、とその素材の質感まで思い浮かべることができたし、千人針とは、と現代にはないものをイメージできるようにもなっていた。
高峰秀子は戦時中も売れっ子スターであり続けたので、書かれている戦争体験は一般人のそれとは大きく異なり、戦争というものをさらに多角的に知ることとなった。
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4日目の名古屋では20数年ぶりの大学時代の友人と合流し、思い出話で盛り上がった。
私は忘れられない良き経験があって、当時その名古屋の友人を含めた日本人学生3人でIHOP(=アイホップというパンケーキのチェーン店)で外食した時のこと・・・。
クリームたっぷり、いかにもアメリカンな甘々パンケーキを食べたり写真を撮ったりして楽しんでいたら、終わり頃ウェイトレスさんが近づいてきて、「あのおじさんがあなたたちの分も会計済ませてくれたわよ」と言ってきたので、私たちは慌ててそのおじさん(達)を駐車場まで追いかけお礼を言った。「君たちがとてもかわいかったからだよ」と言って笑顔で過ぎ去って行ったのだけど(多分子どもみたいな幼稚なかわいさ?)、私はそのことが忘れられずに、自分もいつかあんな粋なことを見知らぬ誰かにしようと心に決めている・・・。
そんな話もたっぷりした後、乗った最後の新幹線は新横浜まで1時間半弱。
開いたページには、志賀直哉著の『小僧の神様』のあらすじ。
「ある秤屋の小僧が、見知らぬ他人に思いがけなく鮨を御馳走になり、その人を神様ではないか、と思う」との一節・・・。
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私がこの本を選んた理由は、旅にはエッセイがちょうどいいこと、持ち運びしやすい文庫本サイズが良かったということが大きい。だから中に何が書いてあるか想像もつかなかったし、瀾書店店主のおすすめもあり、多分好きだろうなくらいの直感だった。いくら自分が本と旅のマリアージュを気にしているとはいえ、ここまでの食い合わせとは驚きだった。
この驚異的なシンクロニシティは旅が終わった後にも続き、8月30日に自宅で開いた『わたしの渡世日記』下巻冒頭には、8月30日に起こった出来事が描かれていたし、やたらと世間が米不足でざわついていると思ったら、鉄かぶとでお米を炊いたという(日本人にとって米が重要であると思わされる)日系米兵の話・・・。
『わたしの渡世日記』は上下巻ともそれぞれ1.8mm程度の厚みであるにも関わらず、まるでアコーディオンのように広がる読感は5、6cm幅の書物を読んでいるかのような、今までにない不思議な体験だった。
昨日また『高峰秀子おしゃれの流儀』というのを買って読んだのだけど、今朝になったらなんと今年が高峰秀子の生誕100年目ということを教えてもらう・・・。
「高峰秀子生誕100年プロジェクト」公式サイト
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昭和の書き手といえば、一番のお気に入りはずっと向田邦子なのだけど(比較するならやはり軍配はこちらに挙がる)、系統としてはかなり近しいお二人なのに、その片一方が今のいままで私の人生から抜け落ちていたことが不思議でならない。マイケル・ジャクソンはずっと好きだったけど、ビートルズのことは存在すら知らなかったとか、わかりやすく例えるならそんな感じ。
向田邦子は賢くもおおらかなのに対し、高峰さんは厳しく近寄り難い印象・・・。だけどこの方の文章には嘘や隠し事がなく(極力少ないように思われる)、演じるのが仕事である女優の文章としてはあまりにも本音が過ぎて、私はただその一点に惚れ込んでしまった。
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旅先に本を持って行く時の選書に無頓着な方も多いと思うが、例えばハワイにロシアの文学を持っていくことはそのどちらの経験も味わいきれなくなるので、次の旅路にはぜひ意識してみてほしい。今回の余韻はこの見事なマリアージュのおかげでその後1ヶ月も続き、まだまだ膨らんでいきそうな予感である。