田中一村展

とても感動してしまった左「秋色」(1938頃)
とても感動してしまった左「秋色」(1938頃)

 

今東京都美術館で開催中の「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」に行ってきました。

 

と言っても、行ったのは今月頭。

ほぼ無知識のまま行ったところあまりに素晴らしく、買い求めた画集を熟読していたら早くも月末になってしまいました。

 

田中 一村(たなか いっそん)

 

恥ずかしながらこの偉大な画家をこれまで存じ上げなかったのだけれど、遅くても知れてよかった。素晴らしすぎました。

 

 

一村は明治後期の生まれで、子どもの時から神童と言われていたそうなのですが、今回いきなり胸ぐらを掴まれたのは、一番最初の展示物。何と一村6-7歳の頃の作品。

 

小枝に雀が留まった小さな墨絵だったのですが、迷いのない線がすでに大人びて、もう立派な一枚の「絵」になっている。私は日本画が専門じゃないから何とか正気を保てたけど(苦笑)、この展覧会で日本画を諦める大人が複数人出るだろうなと、最初の数枚を観て思いました。

 

右ページ「菊図」7歳の作品。その他、8、9、12歳の頃の作品
右ページ「菊図」7歳の作品。その他、8、9、12歳の頃の作品

 

神童というのはどの世界にもいると思うけど、絵画というジャンルでは作品が残っていることがあまり多くなく、これだけのいい状態で子ども時代の作品が何枚も残されていることに驚きました。

 

 

神童と言えばまず思い起こすのがパブロ・ピカソ

 

少々うろ覚えだけれど、ピカソが2歳の頃に描いた手のデッサンを見て、画家であった父親は自分の画業を諦めパブロへの英才教育に全振りしたとかしないとか(この辺りの逸話は色々あり、このバージョンは軽く調べたところ日本語では載ってないですが、とにかく父親はパブロの才能を見て自分の画業を諦めています)。

 

私が持っているピカソの画集で一番若かった頃のデッサンが14、5歳の頃のものなんだけど、大人顔負けに上手いので興味がある方は検索してみてください。ただ、ピカソと言えど残っているものはあまり多くはない印象。

 

* 

 

一村展では、大きな会場の三部まである第一部は幼少期から青年期くらいまでのもので、耐久性のいいキャンバスと違い、紙や絹に描かれたこれらの作品群がここまで良い状態で大量に保存されていたことに、驚きと感謝が込み上げます。

 

18、19歳頃の南画
18、19歳頃の南画

 

十代の頃には中国風の作品(南画)を数多く描き納め、その一枚一枚に変化が大きく、一緒に行った友人とは何度も「一人の人間とは思えないくらい画風が違ってて面白いね」と話していました。

 

23歳に南画から日本画に切り替えプロとしての画業を目指していくのですが、家庭環境の不遇(闘病や芸大の早期退学、早期に親・兄弟を亡くしたり、長男として家族を養わなければならなかったりと)、これだけの技量がありながら生活の部分では順風満帆とは言えなかったよう。

 

今のように自己発信できるSNSなどがない時代。画家として知名度を上げ生きていくには画壇に認められていく必要があるのですが、落選することの方が多かったようで、私としては、当時の業界権力者の嫉妬や牽制みたいなものは少なからずあったんじゃないかなと思うくらい、成人期以降の向かい風は強い。これだけの技量と情熱を心身に携えながら、この向かい風は大なり小なり吹き止むことがなかったように感じるし、多くはないが良き支援者にようやく支えられ何とか作り続けたという印象でもありました。

 

 

ただ、今回これだけの作品群をまざまざと見せつけられながら、一村の人物像というのがほとんど全くと言っていいほど見えてこず、一体どんな性格で、どんな人たちに囲まれ、何に喜怒哀楽を感じ生きたのか、見終わっても、文献を読んでも立ち上がってこない。展示されていた写真も一枚だけ、一つの色恋エピソードもなければ、生涯に渡って登場人物が子どもの作文のように家族や親戚周りに限られている。絵の才ばかりに祝福されて、その他全てはあまりにも希薄な印象を受ける。「作品さえ存在感を放てばいい」と本人は言うかもしれない。それは確かにかっこいいことなのだけど。鑑賞者としては少しだけ好奇心が満たされない感覚が残る。

 

奄美大島に移住した晩年の作品
奄美大島に移住した晩年の作品

 

東京都美術館はかなりの広さで、当初は2時間くらいを見越していたけれど、途中で小休憩2回を含め3時間半もかかってしまった展示量。あまりの情報量に、二部終わりで私も友人も「お腹いっぱい」となったところ気合を入れ直し、最晩年「奄美大島」の時代に入っていく。

 

 

自分の無知の言い訳にはなるが、この方の認知が広まらなかった理由に、「奄美の画家」みたいな(私から言わせれば)やや小ぶりな器に収められてしまっていたことがあるのではと思ってしまった。奄美大島での生活は50歳から亡くなる69歳までの話で、それまでにも素晴らしい作品を多数生み出していたのだから。

ただ、奄美大島という南国の題材を得た一村は、他の日本画家とは一線を画す独自性に到達したのだと言える。

 

一緒に行った友人がつい最近奄美大島に旅行に行き、そのきっかけでこの方のことを教えてもらえたのだけど、いくつかの画像を見ても行くまでは正直大して興味もわかなかったし、そこまで期待もしていなかった。一村が好きと言っていた友人ですら、「絶対混んでないよ」とたかを括り、蓋を開けてみたら「幼少期からこんなにすごい人だと思わなかった」とだいぶ見方を改めた模様。

 

ここまでの作品群が世間一般に知られてこなかった(と私が感じる)のは、一体何の手違いだろう。

 

 

ここで、ピカソに続き、作風そのものも比較される伊藤 若冲(いとう じゃくちゅう)が思い起こされる。

 

若冲は江戸時代中期のこれまたものすごい絵師なのだけど、その死後200年に渡り日本人からはほぼ完全に忘れ去られてしまっていた。近年になって再発見されたのはアメリカ人コレクターのジョー・ブライス氏による功績が大きい(昨年ご逝去)。

若冲の展覧会ともなれば今はどこに行っても大行列だけれど、自国民による忘却の200年の功罪は大きい、気もする。日本人が西洋画に心奪われてしまった200年。仕方がないと言えば仕方がないことだけど、流行り廃りに左右されずに、良いものは良いと自分の審美眼を一番に信じられる人間は貴重でかっこいい。

 

 

今回の展覧会で一村はついに世の中に見つけられてしまった、という気がする。

 

生涯で目標の個展を一回も叶えられなかったという一村。人生の早々期から最晩年まで、私が見た中では最長を網羅した圧巻の回顧展。会場すぐの東京芸大をわずか2ヶ月で退学してしまった不遇の一村が、東京都美術館を上から下まで満開に埋め尽くしたことは、全く赤の他人でありその日まで知らなかった無学な私にとってすら、なんとも言えない嬉しさが込み上げるものであった。

 

 

 

田中一村展 奄美の光 魂の絵画

2024年9月19日(木)ー12月1日(日)

東京都美術館(上野)

 

 

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