2023年
4月
19日
水
私ってそういえば普段一人で仕事してるから、自分の仕事してるところって見たことないんだけど(急になぞなぞ:一番近くにいるのに、一生会えない人ってだあれ?・・・正解:自分!)、友達(と呼んでしまうクライアント様)が撮ってくれた写真がまぁまぁ仕事してる感じでカッコイイではないかと珍しく積極的にアップしてみます。笑
なぜ私がカメラを持っているかというと、この和菓子屋の店主さん、撮影用の台を敷いていざこれからというところでぎっくり腰になってしまったのです(泣/笑)。でもねー、これは笑っていられない。私もなったことあるけど、本当に辛いし、誰にいつ何時起こるかわからないですからね!皆さん気をつけましょうね・・・。
撮るものも撮り方もある程度決まっていたので、代打ながら順調に撮影して、後々店主さんもゆっくり回復してきたようです。
作っていたのはこれ ↓ 諸事情により余白が足りてないのはお見逃しを
可愛い和菓子は見るたびにいつもテンションが上がります。
5月4、5日は毎年お店の前が大行列になるので、私も早朝から出向き、奥でせっせと商品詰めをお手伝いしています。たまにだったら早起きもできるし、いつもと違うお仕事は新鮮で楽しい。
・・・
とか思っていたら。
なんかね、来週から急遽3ヶ月弱、昔働いていたプレスクールでお勤めすることになりました!週5で3ヶ月、毎朝6時起きですよ、この私が・・・。務まるんでしょうか。(ちなみに以前は学校から徒歩10分でも朝起きるのが1日で一番しんどかったです。)
事情を聞いたらやむに止まれず、確かにその状況で入れる人間がいるとしたら(経験者の)私なんだろうなぁと・・・、担任の先生は今も定期的にお付き合いがあり、断るのも非情で、自分のお仕事がちょうど少なめだったこともあり(←これを問題視せよ)、なんだかそういうことになりました。
でもある意味ではせっかくの機会なので、人間を丸ごと入れ替えるつもりで、夜更かしが楽しいことを忘却の彼方に、ただただ実直に務めてみようと思います。作らなきゃいけないものはあるので、帰宅後や週末やるにしても、絶対削れないのが睡眠時間なので、お出かけの時間が減ってしまいそうです。今まで好き勝手してた分ちょっとは頑張ろうとは思いますが、付き合いが悪くなってしまいます旨、あしからず。
友達にも言われたけど、私が夜型なのは思い込みという可能性もなくはないので、実験と思って切り替えて朝方人間やってみます・・・が。でもさ、3ヶ月やってもどうしてもダメだったらさ、頑張ったけどダメだったって、いよいよありのままの私を受け入れてくださいね・・・。
2022年
7月
04日
月
さて、前回の話の続きです。
今回、実務経験のない二人が出版事業を始めることができたのは、AmazonのPOD(Print on Demand)出版というサービスのおかげです。その名の通り、注文が入った時点で初めてAmazonが一冊から印刷し、配送してくれるという、超画期的なサービス!
おそらく、Kindle(電子書籍)が先に始まって、同じデータを実際の本に印刷できたらというのが発想の元だったのではないかと思います。私たちは今回は練習帳なので電子書籍にはしませんが、どちらでも構わないという場合は、一度データをアップロードしてしまえば、Kindleでも紙の本でも両方の出版が可能となります。注文が入って初めて生産される=在庫を抱える必要がないのはローリスクどころかノーリスク。金銭面だけでなく、環境面でもサステナブルなので、大変優れたサービスと言えると思います。印刷代やAmazonの手数料を差し引くと利益は薄いけど、市場は全世界に広がるのでメリットは十分にあると思います。
出版社だけでなく、SNSなどもそうだけど、発信という部分はかなり民主化が進み、自己表現の可能性は過去に考えられないくらい大きく広がったと思いました。出版社の立ち上げそのものもそんなに難しいプロセスでもなく、それを知らないだけでものすごく権力を握られていたんだな、と正直思ってしまいました。既存の出版社の強みはプロとしての質の高さやネームバリュー、実店舗での販売だけど(中次業者や書店との関係が新規は獲得しにくいと思われる)、あと凝ったデザインはPODではまだちょっと難しいけど、今までだったら弾かれてきたような個人にとって選択肢は十分広がっていると思いました。
今回自分でも一冊買ってみたのですが、本のクオリティは遜色なく、バーコードもAmazonがつけてくれるので本物感がいい感じです(ちなみに日本の書店で売る場合は別の種類のバーコードが必要になります。)
実は普段はなるべく日本企業を応援しようと思ってAmazonは使わないようにしているのですが、ここまで圧倒的に優れたサービスは認めざるを得ないというか、やはり資本があるからできることではあるけど、ただただすごいの一言です。原稿はPDFで入稿すればいいので、多少パソコンを扱えれば本当に誰でも本を出すことは可能です(なので、「あなたでもできます!」なのです)!もちろん内容の良し悪しは出版社というフィルターがかからない分だけピンキリのクオリティが生まれるかと思いますし、プロモーションも自分でやっていく必要があります。でも、フィルターが少ないということはそれだけ純度の高い自己表現ができるということ。どんな結果も自己責任で受け止めればいいのだと思います(仮に出版を差し止めても在庫は0)。ちなみにAmazonのみで販売する場合は出版社登録をする必要もないので(Independent Publisherと明記される)、よりハードルは下がります。私たちはもっと幅を広げたいということでちゃんと出版社にしたのですけどね。
なので、もし本にしてみたいことがあるとか、アイディアが湧くことがあればぜひ誰でも挑戦してみて欲しいし、私にできることだったら全然相談にも乗りますので(相談は無料です!)、皆さんの秘めたる世界もぜひバーンと世に知らしめてみてください!
私もいつか何か、やっちゃおうっと・・・!
↓ご報告↓
一時Handwriting Reference(手書き)部門で1位、Early Childhood Education(幼児教育)部門で5位になりました!!想定外の嬉しいボーナス!ご購入下さいました皆様本当にありがとうございます!!!
"Handwriting Workbook for Kids: Letter tracing and handwriting practice"
56ページ、748円(税込)
Dream High Publishing Webサイト
2022年
6月
29日
水
数年前からクライアントのお一人である、Dream Tree Englishの経営者、ニール・ハンフリーさんの出版事業に参画させていただくことになりました!(*なのでタイトルはちょっと誇張、私の出版社ではない。)
ニールとはすでに彼の教室で使う英語教材を3冊一緒に作っており、冊子を作るノウハウは得ていたのですが、出会った当初から子どもたちが自宅で学習できる教材の出版事業を検討されていました。
いざ本格始動したいということでご連絡いただいたのが今年の3月頃。一緒に色々と調べるうちに、出版社というのは、出版社登録をすれば一応誰でもなれるということ、本のIDであるISBNナンバーの取得も、申請して購入すれば誰でも可能ということがわかり、日本語でのフォローも必要なのでZoomで繋ぎながら一緒に手続きを行いました。個人的な印象として、意外と簡単に(安価に)出版社を名乗れるんだっていうのが驚きでした。そうやってたった二人で設立したのですが、既存の出版業界に参入して威勢よく競走するぞっていう話ではもちろんなくて、私たちができる範囲でじんわりと教材を広めていきたいなと思っています。
今回ニール監修で私がイラストやブックデザインを担当させていただいた一冊目:
"Handwriting Workbook for Kids: Letter tracing and handwriting practice"
Amazonで発売されています!!ぜひチェックしていただけたら嬉しいです!
その上でもしも「欲しいわ〜」って思っていただけて、ご購入いただけた場合には、レビューも書いていただけるととってもとっても、嬉しいです!やはり、レビューがない新参者は信用が厳しいですから・・・。どうぞよろしくお願いいたします。
Websiteも簡易的ではありますが、日本語と英語で作ったのでよかったら覗いてみてください。
なんでいきなり出版業界人でもない私たちがAmazonで本売れるんだ?って思った方もたくさんいると思うので、その辺の裏話はまた別記事にしたいと思います。早い話が、その気になればあなたでもできますよ!です。GAFA(M)の時代と言われて久しいけど、やはり世界をリードする企業にはそれなりに人を惹きつけるサービスがあるのだと改めて思わされました。日本の企業も検討したのですが、今回はニールが英語だったのでAmazonに頼ることになりました。
***
ちょっと私自身の話をします。
私は『クサボケちゃん』で2020年ありがたくも絵本を出す機会をいただいたのですが、そこまでの道のりは絵本という可能性に挑戦しようと思い立ってからすでに10年が経っていました。
そもそも絵を仕事でやっていきたいのが前提で、でもどうしたらいいのかわからない中でも可能性の一つに絵本があるように感じました。当時東京の田町というところでバイトしていたのですが、終わってから高田馬場の児童専門学校で提供されていた社会人向け絵本作家コースを受講したりしました。2012年、13年とイタリアのボローニャで開催される有名な絵本展示会に一人で飛び込み、今思えば未熟なポートフォリオ片手に世界中の出版社ブースがひしめき合う中当然どこにも相手にされず、会場の隅で悔しくて泣いたこともあります。児童書だろうがなんだろうが、そこはやはりシビアなビジネスの世界なのです。
その後長編で文章を書いてコンペに出したり(ファイナリストまで行けたけど結果受賞者出ず)、声がかかったと思ったら高額な自費出版の会社だったと知って、天から地へ突き落とされたり、誰も出してくれないならと自作で本を手作りして売ったり・・・。再度一念発起して出した2019年のコンペからみらいパブリッシングさんにお声がけいただき、初めての出版を果たしました(38歳で初恋をテーマにした絵本出すって相当イタイですが、そもそも10年温めていたものなのです。ちょうど(初恋じゃないけど)失恋したタイミングで課題で書いたものでした)。
そんなこんなで出版社というものにはあまりにもいい思い出がないもので、みらいパブリッシングのある高円寺のビルの6階のオフィスに、一歩一歩具合の悪い緊張の足取りで登っていったのを覚えています。『クサボケちゃん』を担当してくれた皆さんはとても素晴らしかったのですが、聞いてたのと違うってことも正直あったし(商業出版と言われていたのにかなり自己負担が大きかった→人生初の交渉をしたりした)、本を出したら出したで周囲の反応や無反応は様々、一概に手放しで喜んでもらえるものではないんだっていうのも悲しいけれど肌で感じたものでした。
もちろん自分の才能が足りなかったことが一番の理由だけど、今までの出版って、無名の人間にはそれくらいハードルが高いものだったのです。どこに針の穴サイズの光でも見えるかなっていうくらい、入り口が全く見えなかった。高額な自己負担をのんででも出版したのは、やっと巡ってきたチャンスをお金という理由で諦めたくなかったから。でも今でも約200冊の在庫を抱え、腐らないものとは言え売っていくのはまだまだ時間がかかりそうです。
それに比べて、ニールと私がほんの数ヶ月で出版社を立ち上げて、初出版したって一体何?って思われると思うけど、この種明かしはまた別にこの場だけでするとして、一緒に作業をしながら思ったのは、こんなことが10年前、いや5年前にでもできていたなら、私は一人ででも挑戦していただろうなっていうこと。なんか残念な気もするけど、でもあの期間に積み上げた経験があったからこそ、今回こんなにスムーズに形にできたのかなとも思います。ニールが出版の話をしてきた時、自分の経験から「実際には結構厳しいよ」って言いそうになったのを飲み込んで、ニールの願いを叶える方法を一緒に模索しようと思いました。私が感じてきた孤独感や拒否感を、私が彼に与えるのは違うと思ったから。
実際には世の中はある意味ではいい方に、より多くの人にチャンスが開く方向に、向かっていると思います。私自身、こんな新鮮な学びの機会が与えられて楽しさしかないです。ニールありがとう!
"Handwriting Workbook for Kids"
かわいく機能的にできたと思います!
↓どうぞよろしくお願いいたします!!↓
2022年
1月
26日
水
ポートフォリオ(作品ファイル)できました・・・!
もしかしたら前回のブログ読んでくださった方勘違いさせちゃったかなと思ったのですが、今私が出版社さんとやりとりしているのは、絵本第2弾の話ではありません。
他の著者さんの装丁とか挿絵とか、そういうのも相性良さそうなのがあれば紹介できるかもだからってことで、私の作風が伝わるものをお渡しさせていただいたのです(あと「クサボケちゃん」プロモの話)。装丁ってそう言えばいつかやりたいと思っていたので、今年の目標の一つに定めました。いいご縁があるといいな〜・・・。
今回ポートフォリオを作るにあたって意識したのは、私らしいと思う作品だけに絞ったこと。気に入ってるけどたまたまうまく行っただけの作品とかは、求められた時に同じクオリティで作れない可能性があるので入れないようにしました。
本当は一年前の時点で欲しいって言われてたポートフォリオだけど、過去一年で作った作品を多く入れられたので、自分的には今年作ってよかったと思います。言い訳のようだけど、昨年作っていたら自分の強みも弱みもまだよくわからなくて、ぼやけた作品集になっちゃってたと思うから(二度言われるほど求められているとも当時思わなかった)。昨年はお客さんありきでたくさん作らせていただき、どの大変さだったら耐えられるとか、楽しめるとか、そういうのも分かってきたので、これからは自分のスタイルをもっともっと磨いていこうと思います。
1冊は自分用に作ったので(違う紙で刷ったから色が違う)、これからの新しい出会いに活用していきます。楽しみ〜:)
2021年
8月
07日
土
先日自宅のデスクで仕事をしていて、ふと見たらすごい自分らしい姿が映っていたので思わずパシャリしたのが上の写真。
窓に向かって配置している、父協力のもとDIYされた横長デスクの左寄りにパソコン、右半分は絵を描くスペースにしているのですが、これは地域のとある小冊子用にイラストを描いていた時のこと。
写真を見ると、デスクトップのiMacの前にMacBook Proというのはちょっと謎に思われるかもだけど、長年連れ添ったiMacはもう8年物のおばあちゃん選手。昨年くらいから調子が悪い時もあって騙し騙し、あやかしあやかし使っているのですが(本当にさすって言葉かけたりする、「がんばって〜」とか「ありがと〜」とか笑)、この時はダウンしていて、そういうときは訳あって中古で買った同年代物の(あまり使っていないので動きは軽い)MacBook Proで代用しています。こちらに資料画像を映し出し、音楽をかけたりして作業していたら、暗くなったモニターに映った姿が、デジタルな風景にアナログ(手描き)な自分を映し出していたので、面白いなと思って記念に撮りました。
比率的にも、今の私の仕事、デジタルとアナログがちょうど半分半分かも。
それで、その案配が飽きがこなくてちょうどいいです。
それぞれに私なりの自己投資課題があるのですが。
パソコンは、いい加減新しいのに変えないとおばあちゃんiMacに急に別れを告げられそうで怖いです。
実は6月頃一度最新のiMac(カラフルなシリーズの)購入までしたのに、翌朝起きてすぐ、「今じゃないかも」と心がざわついたのですぐにキャンセルしました。
パソコンとかって、進化してくれるのはいいけど、企業の売りたい都合の方が大きくて、こちらのニーズ無視されてるな〜って思うことがある。だって、パソコン新しくしたら、多分今使ってるプリンター2台(A3用とスキャナー用)も互換性が合わなくなって買い替えなきゃならない気がするし、デザインソフトも新しく月額購入しなきゃならない(そこはデザイナーだからいい加減と言われそうだけど、今の入れっぱなしのバージョンでも全然遜色ないんですよー!)ので、なかなかこの大きな一歩が踏み出せずにいます。
あと、Illustratorとはすっかり気の知れた仲になったというのに、同じAdobeのPhotoshopはちっとも仲良くなってくれない。私から歩み寄ろうとしても、向こうからは拒まれてる感じ(涙)。なのでいつかちゃんとPhotoshopのスクールも通いたいなと思っています。
アナログ(手描き)の方は、実は今回初めて、憧れの(!)日本画に使われる顔彩(がんさい)と呼ばれる絵の具で絵を描いて、まだ全然使いこなせていないんだけど、初めての感覚にとってもわくわくしました。
顔彩絵の具は、水彩絵の具に比べると筆にもったりとからみついて、色がもう少し紙の表面に残る感覚(粒子が水彩絵の具より大きいのかな?)。
水彩画はまだまだ苦手意識が高いのですが、水彩よりはもう少し仲良くなれそうな予感がして、日本画に憧れる私としては、ちょっとだけ嬉しくなりました。
それで、そんな感覚が起こってしまったので、いつだか50歳になったら日本画を始めたいとか書いた気がするけど、そんなこと言ってないですぐにでも教室通おうかな〜なんて思い始めています。
そもそも、ちゃんと学んでないのにいきなり仕事に実践している辺り、非常識だと自分でも思います。でも、もうやっちゃったから批判は甘んじてお受けします。
最近はこのデジタルとアナログの行き来が要領よくなってしまい、ちょっと前だったら100%原画で構成しきってからスキャンして取り込んでいたものを、最近はパーツごとに取り込んで、パソコン上で構成したりするようにもなりました。もっとひどくなると、最近はアナログな線をパソコン上で引いて再現してしまったりもしています。効率はいいんだけど、なんだか物わかりのいい大人になってしまった感じ。でも、これも必然的な進歩なのかな・・・。そんな中で、たまに誰のためでもない純粋な作品が現れたりすると、やっぱり嬉しくて気分転換になります。それでまたお仕事の方もがんばれたり。このバランス、大切にしたいです。
今回チラ見せした手描きのお仕事の成果は、9月頃形になるのかな?
どうぞお楽しみに。
2021年
7月
03日
土
気がつけば2ヶ月近く更新せずに過ぎてしまいました。
元気にしています。
以前、と言ってももう3年前、小津安次郎とインスタの関係という文章を書いたのですが、今日久しぶりに小津監督の『彼岸花』という映画を観て、やっぱりまた感動してしまい、久しぶりに文章を書く気になりました。
よければこの↑ブログを先に読んでから、その続きとして今回のブログ読んでみて下さい。
実は今月中に一枚「彼岸花」の絵を描く必要があり、今日の昼間からなんとなく画像検索し始めたところ、これは容易に描けそうにないと思っていたときに現れたこの映画のサムネール。小津監督は彼岸花をどう描いて、どういう意味を込めるのかなと気になり、観てみることに・・・。こういうのって、半分は娯楽に対する言い訳ですが、半分は本当に創作のヒントになったりするものです。
ここから先は私が映画を観て気がついてしまった小津監督の映像トリック、おそらく気がついた人はごくごく少ないと思うので、もし興味のある方は先に映画を観て(私はAmazon
Primeで観ました)からこのブログの先を読んでみると面白いかもです。
映像トリックのヒントは「4色」。
***
小津監督作品がお洒落なことは知っていたけど、改めて、嫌味なくペラペラとめくってしまうファッション雑誌のようだとも思いました。
加えて今回気が付いた小津監督の映像トリック、それは、色の使い方!
冒頭のクレジットの色の使い方から違和感があり、多分本編10~15分くらいで気がつき、もしやと思って続けて観ているうちに、絶対そうだ!っていう確信に変わっていきました。
何かというと、映像のほとんどを、たったの4色で表現しているのです。
その4色は、赤、白、緑、茶色。と、それらを混ぜ合わせた中間色。
プラス、黒(グレー)と黄色と青が合わせても全体の1割程度の印象。
赤は、ヤカン、襦袢、口紅、看板の文字、セーター、帯、テーブルクロス、etc.
白は、浴衣、壁、シャツ、花瓶、ボート、エプロン、障子、襖、etc.
緑は、ワンピース、畳、壁、セーター、樹木、器、着物、etc.
茶色は、柱、カバン、廊下、ハイボール、急須、デスク、背広、etc.
中間色としては、エンジやペパーミントグリーン、黄土色など。
おそらく観る人はいい意味で違和感を感じて、いい意味で目が心地良くさせられる。
私は上のトリの絵、実は別の色で描いたものをこのブログのために〈小津4色(+1)〉に画像編集したのですが、普段作品を作っていて気づくのは、一枚の作品を4色前後で仕上げると心地良いということ。個人的に、この作品好きだな〜っていうのは、実は4色使いが多いのです。
話は戻りますが、この小津監督が選んだ赤、白、緑、茶色の4色。
これが、小津監督が表現するところの彼岸花!きっとそう!
その証拠にというか、小津監督は、タイトル以外で彼岸花の映像をワンカットも使っていないどころか、セリフに登場させることも、何かの形で示唆することすらしていない。「お彼岸」という言葉すら。
ついでに面白いことに、内容としては娘の結婚を心配する親世代の葛藤みたいなものがテーマなんだけど、渋々認めた娘の結婚式の映像は、物語のハイライトでありながら1秒だって描かずにその前後のみで繋いでいる。
こういう凝った作り方は本当に上手くやらないと機能しないと思うけど、小津監督は全く何の気もない「かのように」、お洒落にやりのけてしまう。
そしてこの映画を観終わってから知ったのだけど、これが小津監督が手がけた初カラー作品とのこと!やっぱり!ブラボー!絶対に、カラーでやるんだったらカラーで遊んでやろうって思ったんだろうなぁ・・・!
小津監督の映像の中で彼岸花を観たかったけど、
この方は、彼岸花を描かずに彼岸花を表現する人なのだ・・・。
さて、私はどうしよう。
2020年
8月
29日
土
8月といえば世間では遊ぶ月。
でも私が育った山中湖では、サラリーマン家庭以外はとにかく一日も休まず働く、働く、働く月!極端ではなく、7、8月に年収の大部分を稼ぐところもあって、夏の終わりにはみんな心身ともにボロボロ。同業者同士、買い出し先のスーパーなんかで会うと「あと少し、あと少しだね〜」と励まし合って生き延びるのが定例で、文字通り、アリとキリギリスのアリのような生活スタイルなのだけど、私はメリハリがあってそんなサイクルが好き。世間の夏休みムードがすっかり落ち着いたころ、自分たちのタイミングで休みをとって遊びに行けるのも魅力的。
そういう理由で8月は私の年中サイクルの中でも一番よく(創作活動以外の部分で)「働く」月。人が忙しくしてるのに手伝わないのは少し罪悪感を感じるくらい。
それだけじゃなくて、8月はよく「本を読む」月でもある。よく、「読書の秋」っていうけれど、私には「読書の夏」っていうのもあって、普段なかなか手を伸ばせない重めの文学作品とか、文章量のあるものに取りかかるのはけっこう夏だったりする。
理由も単純で、ペンションとか宿系の仕事は、早朝から夕食の片付けまで就労時間が長く、その代わり昼の休憩時間もまあまあ長い。そこで一旦家に帰り、私は庭先の(小さな我が実家で一番居心地のいい屋外リビングとも言える)ハンモックで、ウトウト昼寝したり、そして読書をして体を休めるのである。葉っぱが擦れ合う音は心地よく、合間を通り抜けて肌に触れてくる空気はひんやりと気持ちがいい。本当にこの時間で心身がリセットされる。
とはいいつつも、今年はあまりまとまった時間がなくて例年ほど読めてはいないのだけど、いくつか読んだものは、気がつくとどこか戦争に触れているものが多かった。
考えてみれば、第2次世界大戦以降の、とりわけ私が最近好む昭和という時代は、小説であれ自伝であれドラマであれ、全て戦争があって初めて語ることができる時代。「戦後復興」「高度経済成長」「近代化」なんて言葉はどこか魅力的で、今まではその眩しく上がり調子な部分ばかりに目が行ってたけど、その右肩あがりの銀光りする滑り台の、本当に下の下の泥沼の地面まで想像力で落ちてみたことが、私は今まであまりにもなさすぎたかもしれない。本当は私たちの今の歴史は、その泥沼の地面の上に立っている。
***
今回つま先くらいでも、その泥に触れたかなと思ったのは、小田実さんという方が書いた、パラオのペリリュー島での日本軍の玉砕を題材にした小説。私の大好きなドナルド・キーンさんからたどり着いた。
ペリリュー島は、私の父方の実の祖父が戦死したところ。そんなことを知ったのもほんの数年前で、そのときはその風変わりな島の名前を頭に叩き込むだけしておいた私。私どころか父も祖父を知らないので、これまで一向に語られることもなく、感情を動かすにはあまりにも他人すぎた祖父だけど、冷静に考えると、その人の血は確実に自分の中に流れて今、私の心臓を動かしている。建前以上の興味を持ちにくかった戦争を知るには、私にとってこのおじいちゃんが唯一、本当に降りていける滑り台かもしれない。
おじいちゃんは軍医だったから、あいにく代用して読めるような登場人物は小説の中にはいなかったけど、アメリカ軍に2、3日で制圧できると思われていた日本軍が、複雑な洞窟を駆使して3ヶ月近く粘ったことや、玉砕直前までギリギリに追いつめられていく凄まじい様子は本当に少しだけ、感じ取れた気がする。本を閉じてからペリリュー島をネット検索すると、描写されていた洞窟内部の画像などが出てきて、いつか、その地に降りてみたいと思うようになった。おじいちゃんを足がかりに、戦争のことをもう少しきちんと知ることが、直感としてなんだか今すごく重要な気がする。・・・今の時代のこの不安定な情勢が、そんな気持ちにさせるのだろうか。
***
話が反れるようだけど、以前働いていたペンションのご夫婦にようやくクサボケちゃんを届けることができた先日、そのご夫婦のお知り合いで引退したペンション仲間のご主人(私は知らない)が最近、観光に訪れていた車とぶつかって亡くなった話を聞いた。ようやく懸命な働きアリが優雅に暮らせたかもしれないという、これからのとき!相手方にも、双方の家族にも情が湧く。
数日前は別の知人のおじいさんが、自宅でお昼を食べ、おばあさんも側にいる中で昼寝をしながら亡くなった話を聞いた。それは私が人生で聞いてきた中で、最高の亡くなり方!
どちらも突然の死の話だったので、知らないなりにもそれなりにショックを受けた。私はこの年になってもありがたいくらい死に縁遠く生きてきており、そういう話は子ども並みに聞き慣れていない。かと思ったら、ちょうど今読んでいる本の登場人物も8月24日に亡くなったという文章に出くわす!小津、黒澤に先んじて日本の巨匠と言われていた溝口健二という映画監督。こちらは病死だった。
そういえばお年寄りは真夏と真冬によく死ぬという。
統計を調べようと思ったら、やけにコロナのデータばかり上がってくるからやめた。
でもよく考えたら、これまでも8月は、すごくたくさんの人が死んだ月だった。
2020年
6月
07日
日
5月をブログ強化月間と称し、週に2回は上げる目標だったけど、いざフタを開けてみれば週に1回くらいのペースで終了・・・。自分ではそろそろ3日くらい経ったかなぁと思って書いてたのだけど、実は6日くらい経ってたりして。毎日が日曜日だとこういうことが起きます。
でもせっかくなので、以前よりはもう少しだけ頻度を上げて頑張りたいと思います(←どーだか!)
ここ数日は、翻訳のお仕事をいくつか続けてしていました。
私の「器用貧乏」さ(←「クサボケちゃん」の編集者さんに言われ、それ以来、なるほど私を一番よく表現していると思う四字熟語・・・貧乏をとって二字になるのが目標)がこういう状況の時には助けにもなり、久々に日本語と英語を行き来していました。
こちらはアメリカのクラウドサービスでお仕事を配給してくれる翻訳会社なのですが、登録時に試験をパスすれば受注できるようになるので、やったりやらなかったりで5年目くらいになります。最初からリモートなので、上司や同僚を小さなサムネール以外で知るでもなく、組織の末端に梅の実のようにぶら下がり、かろうじて繋がっているような、そんな距離感。でもそういうこともあってか、サポート体制はしっかりしていて、困ったらすぐにメールで連絡が取れたり、問題解決すると、サポートの働きはどうだったかと毎回フィードバックを求められたり。私の翻訳した文章も抜き打ちでチェックされて点数化され、いい点数やコメントをもらうとモチベーションも上がる仕組み・・・(その反対もある)。
そんなこんなで、未熟な末端果実としてでも、久々にアメリカの組織の中に属してみると、また色々と見えてくることがある。
アメリカって今色々あるけど、日本と比べると、やはり基本的に、下が上と戦う姿勢をしっかり持っている。ダメな部分は主張され、改善され、主張され、改善され、が繰り返し、しかも定期的に行われている。黒人と白人間の問題は、根深すぎて、なかなか劇的には変われないようだけど・・・。
今の翻訳会社では、時々アンケートが来て、この会社を他の人に勧めますか?っていうような、私が会社を評価するような機会が与えられる。最近はちょうど、ギャラが仕事に見合わないなぁって不満に思ってたところなので、そのように評価させてもらいました(おそらく皆さんの想像以上に安いです)。
Evaluation(「評価」「査定」とか訳される)と呼ばれるこのシステムは、実はアメリカの組織では結構当たり前にやることで、以前働いていた教会のプレスクールも、年に一度「教員が」「ディレクター(校長先生)を」評価するタイミングがあったし(もちろんこういうことは全て匿名で、秘書が統計・活字化して渡す仕組み)。アメリカの大学でも、学期末になると、どの授業でも最後に「学生が」「先生を」Evaluateする仕組みになっている。基本的には用紙一枚に数字のスケールで答える項目があり、それ以外、言いたいことがあれば書けるところがある。もちろん悪いことばかりでなく、お礼なんか伝えたりすることも。
私、アメリカはそんなに好きになれなかったけど、こういうところは本当に合理的で、ポジティブで大好きです。
日本ではどうかなとちょっと調べてみたら、360度評価 (360-degree Feedback) という、上司、同僚、部下、関係者などの多方面から評価されるシステムが(やはりアメリカ輸入で)導入されるところも出てきたみたいだけど、せいぜい3割程度とのこと(ちなみにアメリカの大手企業では9割超えだそう)。
これって結構国民性を表してるなぁって思ったりするわけです。日本では、上は下からとやかく言われたくない(農民のくせして武士に楯突くとは何事か、から(いや、それ以前から)脈々と続く、生徒は先生の言うことだけを聞いていればいい、が律儀に継承されており)。下は言いたくても表現する方法を学んでいない。黙る、耐える、諦める、愚痴る、自分を責める、辞める、殺す、死ぬ、くらいの選択肢で大体完結させちゃうから、なんか色々勿体無いなと思ったりします。
下が上に対して、正式に不満を表現することができるシステム。任意とかじゃなくて、やらなければならないことになっている、「システム」。想像ですが、こういうシステムも、アメリカでは問題があるごとに改善策として、少しずつ進化していったのではないかなぁ、と思ったりするわけです。
かく言う私も、そんなにうまく自分のネガティブな気持ちを表現できるわけではありません。元来は日本人らしく避けて通りたいところがあるものの、アメリカでいいなぁと思ってからは、伝えにくいことを伝えることがもっとうまくなりたいと思うようになりました。だから、どうしてこの人に言われると喜んで動いちゃうんだろうなぁとか、どうしてこの人だと素直に謝れるんだろうなぁとか、そんな人に出くわしたら、あの人の何がいいんだろうってのをこっそり研究して、マネできそうだったらマネして、っていうことをやったりしています(まだまだ)。思うにそれはほとんどが、ちょっとした言葉の選び方だったり、声のトーンだったり、表情筋の使い方だったり、ウィットやユーモアだったり、相違を受け入れるおおらかさであったりします。この表現部門は、他の表現部門と同様、きっと永遠に修行の身です。
そんな身なので・・・
今のアメリカ、応援します。
香港の若者も、応援します。
少しずつ、よくなっていこう。
2020年
5月
22日
金
かくかくしかじかの事情で、最近、禅ないしは坐禅について勉強中。
これが、なかなか面白いです。
今は図書館が使えず(もうそろそろ、貸出くらい良くないですか・・・)調べ物がネット情報だけだと心もとないので、追加で雑誌とスティーブ・ジョブスの本を1冊ずつ購入して読みかけているところ。
それで少しずつわかってきたのだけど、
禅って「今」を生きることなんだ。
過去でもなく、未来でもなく、「今」。
だから、その実践的修行としての坐禅は、今中の今である、一呼吸一呼吸に集中することが求められる。それを深く意識してすることで、囚われていた様々な過去の出来事や、まだ起きてもいない未来に対する不安を吐き出し、ひたすら「今」に意識を向ける。
これはなんでもないことのように見えて、実際にやってみると確かに良い効果があるような気がする。
***
考えてみると、私の一番最初の禅的体験は、二十歳手前で行ったアフリカの土地で、ボールペン一本で絵を描き始めたことだったと思う。
大した内容でもなかったのでとっくの昔に捨ててしまった当時の日記に、
「体の中で何かが爆発したがっているのを感じる。それが何なのかわからないのだけど・・・」というようなことを書いたのを覚えている。
それは人生に悩む若者ならではのグツグツと煮え立つマグマのような感覚で、その存在は確かに肌の下に大きくあって畝り、あちらかこちらかと必死に出口を探してうごめいている。私は吐き出したくても吐き出し口を見つけてあげられなくて、ただただモヤモヤとそれを抱えて困っていた。
運よくも、その日記を書いた少し後に、授業中にノートの片隅にいたずら書きしたのをきっかけに、私は部屋で一人こもって絵を描くことに夢中になった。
描き始めて割とすぐに、「私が人生をかけてやることはこれだ!」と解った感覚があった。(嬉しいかな、今日も絵を描き、同じ確信でいる!)
私にとって絵を描くことが、その他全てと違った決定的なこと。
それは、ようやく「今」を生きていると実感するようになったこと。
それまでの私は、無邪気に輝いていた子どもらしい「過去」と、それでも満ち足りていなかった数々の不満に対し「未来」を輝かしていこうということで頭がいっぱいで、その、種類違いではあれキラキラして見えた過去や未来に対し、「今」が現実的すぎて一番嫌いだった。今しなければいけないこと、今目の前にある平凡、悩み、解決しない現状・・・。一つ悩みが解決すれば、また別の悩みが生まれてくる。それは、鼻先にできたニキビ一つだったりするのだけど・・・。そうなると、そのニキビがまるで全宇宙の中心のように思えてきて、それがなかった過去や、なくなった後の未来しか欲しなくなる。今よ、さっさと過ぎ去ってくれ・・・!
でも未来にもまた、ニキビは確実にやってくる・・・。繰り返し。
絵を描くようになって、さっきまで単なる一枚の白紙だったものが、他のどこにもないユニークな存在に生まれ変わっていくのを目の当たりにし(上手い下手は別として!)、何か有機的な存在が目の前で生まれるのを最初に見る目撃者の感覚になった。こうなると、「今」が急激に面白くなった。
一生懸命取り組んでもうまくいかず終わることも多々あるのだけど、その、手を動かして楽しかった「今」という時間は、確実に自分を豊かにしてくれた実感があったし、そんな失敗もあるからこそ、うまく行ったときの喜びは大きかったりする。
私は、日本を飛び出しアメリカへ行き、ここは嫌いと憧れのアフリカの地へ来てもまだ悩んでいた。でも絵を描くようになってわかったのは、問題は場所じゃなかった。どこに行っても一緒についてくるのは自分の身体。自分の身体が幸せでなければ、どこに行っても幸せになれるはずはない。ようやく、どこに行っても幸せになれる方法を見つけた!
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同じ頃か、アメリカに戻ってからか忘れたが、第二の禅的体験は夏目漱石の『草枕』の中にあった。有名な冒頭部分。
「山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る。」
(夏目漱石『草枕』冒頭)
だから私は、絵を描くようになったんだと、それまでの20年という、自分にとってはそれなりに苦難も多かった道のりを、漱石はたったの8文で説明してしまった。私が絵に辿り着くというのは、漱石的には必然だったらしい。
それでも、今だって、いつだって、人生を考えてしまうタイミングはある。
でも今の自分を幸せにして、その「今」を積み重ねていけば、どこで終わっても一生が幸せになる。
他人を幸せにとか、人の役に立ちたいとか、そういう大義名分は、私は持ち合わせていない。そんな立派なことは、私などにはとても言えない。自分でも、なんで絵なのかわからない。それで誰かを幸せにするのか、社会の役に立つのかも。でも確かなのは、私は私という一人の人間を確実に幸せにできる。だから私は絵を描く。
そっか、私は絵を描き始めた時から、ずっと禅的思考を持っていたんだ。
迷走しそうになっても、思い出せばすぐ、円を描いて、いつものところに戻っていく。